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プロフィール

100tomo

Author:100tomo
2007年に結婚。長~いOL生活を脱出し
2011年3月に待望の第一子を出産♪
今は家庭中心の日々を送っています。

久保田利伸さん, Luther Vandross, Stevie Wonder,
Ne-Yo, Beyonce・・・Black Musicを中心に音楽全般大好きです♪
奈良出身の旦那様に影響されてか ココ最近は仏像
(特に薬師寺の日光・月光菩薩)や、神社仏閣にも興味津々。
和の文化の素晴らしさを改めて見直しつつ、
本場関西のお笑いにもすっかりハマっています。

ドタバタの育児の様子などもupしていきま~す!
ホント、子育てって大変やわ~。


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大好きな誠子おばちゃんが今年3/1に急逝しました。

今年の元旦に会いに行った時には、痩せてはいたけれど
手土産に持参したケーキを美味しい、美味しいと食べてくれて
会話もごくごく普通にできる状態でした。

家人によると、その後、みるみるうちに体調が悪化して
食べられなり、弱っていったそうです。

本好きの伯母が 目が見えにくくなり、よほどしんどかったのか
病院嫌いを押して1月中にも大学病院での診察を控えていました。
治療法が見つかれば、また気分が違ってくる、と前向きな姿勢を
見せてくれ、少しでも読書が楽しめる状態に戻ればと
祈っていた矢先、精密検査の結果、脳の髄液から癌細胞が発見され
『余命0日』宣告を受けたのでした。
数年前に罹患した肺癌からの転移でした。

その日以降、自宅での緩和ケアに大きく舵がとられました。
同居している娘家族と、別に住んでいる娘夫婦とでシフトを組み
家族一丸となっての介護がスタートしました。

私も二人のお姉ちゃんと連絡を取りつつ、伯母ちゃんが少しでも
心穏やかに日々、過ごせるよう、CDを贈ったり
愛息と一緒に手紙を書いたり、限られた時間の中で
伯母ちゃんへの愛情を示しました。

固形物が食べられなくなっても大好きな緑茶は少しずつでも
飲んでいると聞き、marimekkoの素敵なマグに美味しい緑茶を添えて
ネットから手配。
その贈り物が届くはずの日の朝に 伯母は78歳の生涯を閉じました。

その日、自宅でお昼を食べていると、電話が鳴りました。
この頃は、電話が鳴るたびにドキっとして、嫌な知らせを連想させられるので
よほど緊急な用でない限り、メールかLINEで済ませるようにしていました。
そこにきての入電。。。
受話器を取ると、ほんの少し間があり、母の泣き声が漏れ聞こえてきました。
その瞬間に全てを悟りました。伯母ちゃんが召されてしまったのだと。
「どうして!!!どうしてこんなに早く!!!」と叫ぶのが精いっぱいで
あとはただただ、電話越しに母と涙を流し合うだけでした。

葬儀は数日後、伯母の自宅近くの斎場で執り行われることになりました。
告別式の時間が早いので、通夜の晩は近くのホテルへ一泊することに
しました。
愛息はまだ『死』を完全には理解できておらず、うちの母を伴って
ホテルへ泊まれることが嬉しそうでした。

相当やせ細って亡くなったので、通夜の席で伯母に対面するのは
正直怖かったです。 その最期の顔がずっとずっと後々まで
脳裏に残ってしまうのではないかと恐れていました。
ところが綺麗に死に化粧を施された伯母は
想像をしていた死に顔でははなく、まるで見たこともないような
ふっくらとした顔をしていました。
それがあまりにも違いすぎて、これが伯母ちゃんなの???と
見間違うほど・・・。
訃報を聞きつけて、同じ県内に住む伯父夫婦が駆け付けた時の
伯母の最期の様子とはまるっきり違っていたそうです。

何というか・・・ちょっと蝋人形っぽく映りました。
伯母の死が現実なものと受け止められないくらいに
不自然に映りました。
それが良かったのか悪かったのか、私の記憶には
元気だった頃の伯母や、最後にお正月に会った時の
伯母の姿が永遠にインプットされたのです。

伯母には二人の孫がいます。
幼少期からずっと同居していた孫です。
弟はほぼ、伯母ちゃんから離れず、皆がお清めで
席を外しているときにも、棺のそばについていました。
「・・・会いたい。会いたいよう・・・」と力ない声で
むせび泣く姿に、一緒に涙を流しながら
ただただ背中をなでてあげることしか出来ませんでした。

お姉ちゃんの方は感情を表に出すことはせず、
じっとひたすら非情な現実を受け止めているようでした。
どちらか一方の悲しみが深いということはなく、二人とも
それぞれがそれぞれの悲しみ方で、伯母を見送ろうと
していました。

娘二人は気丈に振舞っていました。
最後にやれるだけのことをやった達成感もあったのかも
しれません。
誰も予想しえないほどの速さでアッという間に
最後を駆け抜けて逝った伯母でしたが、
良くなる可能性がゼロな中で、よくぞ前を向いて
日々、介護にあたっていたと思います。
私たちにもショックを与えまいと、言葉を選びながら
やわらかな表現で最後の伯母について語ってくれました。

そんな中、長女の旦那様がポツリと発した
「・・・かわいそうでした・・・」の一言が かろうじて声を
聞き取ることのできた母と私の心をえぐりました。

その一言の中に、壮絶な最後の日々が垣間見えました。
我慢強い伯母のこと、泣き言1つ言わず、痛みや
恐怖に耐え忍んでいたことでしょう。

大好きなお酒も飲めない、大好きな料理をふるまって
家族に食べさせてあげることもできない、
そして何より好きだった本を読む楽しみをもぎ取られ
ただただ 『死』に向かっていく日々を
どんな想いで送っていたのでしょう。

あんなに頑固だった伯母が 死期が近づくにつれて
素直になっていき 「ありがとう」と感謝の言葉を
何度も言ってくれた、と次女が語ってくれました。
耐え難い日々の中でも、母娘にとっては限られた
かけがえのない毎日で、お互いの想い、愛情を
再確認できたことが唯一の慰めです。

亡くなるほんの数日前、強い痛み止めで 夢と現実を行きつ、
戻りつするようになっていた時に
別れた亭主(すでに逝去)が迎えに来た と
言い出した時はビックリしたと話してくれました。

親戚からはろくでもない亭主と評されていた元旦那様
でしたが、伯母ちゃんにとってはやはり一番大切な人
だったのかもしれません。
一番大好きな人が迎えに来てくれてよかった。

四十九日も滞りなく済み、伯母は両親の眠るお墓で
永い眠りに就くことになりました。

生前、おばあちゃんは誠子おばちゃんはお父さん子だったと
話してくれました。ところが、おじいちゃまは昔の父親が
ほとんどそうだったように、しつけや教育にとても厳しい人で
決して褒めることをしない人だったそうです。

伯母は大変優秀で、学校の先生が「卒業したら結婚してほしい」
と申し出るほど聡明な生徒だったそうです。
成績も常にトップでしたが、満点を取らないとどんな良い成績でも
父親の叱責を受けたそうです。

片や、末っ子で、一番不出来のうちの母は
たとえ赤点を採ろうとも 「トシコは将来性がある。楽しみだ」と
膝の上の乗せてもらって とにかく可愛がられていた、と
何十年たった後々まで、口惜しそうに 羨まし気に語っていた
伯母を思い出します。

きっと今頃、おじいちゃんに「よく頑張ったね」と
褒めてもらえているのではないかと思います。
だって本当によく辛抱して頑張ったのだから。

そして伯母のことを 「ねえさん、ねえさん」としつこいほどに
慕っていた うちのろくでもない父とも再会して
美味しいお酒でも酌み交わしていることでしょう。

台所で一人立っている時、料理上手だったお伯母を
ふと思い出します。

「八丁味噌や、白みそなど、使い切れない時は
普段使っている味噌と合わせて 安いお肉や魚を
味噌漬けにしちゃうといいよ」

「しけった海苔は 佃煮にしたら美味しく食べられるよ」

伯母にヒミツの味付けの調合を聞くと 決まって
「醤油、酒、砂糖」と返ってきました。
「いつも同じじゃない!」と笑う私に「そうなんだよね。適当!適当!」
と笑って答えてくれました。

私もお料理は好きだけど、まだまだ伯母の域には達せません。
お正月にいただいた お煮しめのあのコックリ煮えた濃いめの
里芋の味は 一生忘れないでおきたいです。

誠子おばちゃん いままでもこれからもずっと大好きだよ。
どうぞ安らかにお眠りください。


合掌
100tomo





























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